プロローグ

 新世紀、という言葉を使わなくなってからすでに何世代か過ぎてしまった。七つの国が地図から消え、二つの新しい国が加えられた。世界的におもてだった紛争がなくなり、奇妙な倦怠感が人間の間に広がっていた。人類はなんとなく世界平和を手にいれてどうしたらいいのかかえって分からなくなってしまったように見えた。

 核兵器もこんな世界では持っているだけばかばかしく、まるで捨てるに捨てられない過去の思い出のようにこ恥ずかしい存在になってしまった。

 医学は驚異的に発達し、死にさえしなければすべての病気や怪我は直せるようになってしまった。つまりヒトはある意味で不死になってしまったのである。もっともそれでは人口爆発が目に見えているので延齢は禁じられ、またどの程度まで治療をするのかは当人の意思に任せられた。

 それは奇妙なパラダイムシフトをヒトに迫ることになるのだが、まだ哲学にはなっていなかった。若者は片目や片手を失ったままにしてみたりしてステータスシンボルにしていた。ボディピアスをするように指を切ってみたりする。つまりファッションなのだ。

 生命の冒牘だ、という世代もあれば、そうではない世代もある。それは電化製品を自在に操る世代と、自在に操られる世代との構図を彷彿とさせるかも知れない。

 また人工的、電子的な娯楽は出尽くしてしまったようで、人々はどんどん質素な楽しみを求めるようになってきた。極端なところでは十代の女の子向けの電子雑誌に「今最高にエキサイティング『禅』の世界」と言う特集が組まれたりした。そこまでいかなくても書道や茶道、華道といった繊細な遊びが流行っていた。電子的な遊びはむしろ軽蔑されるような風潮があった、原始的で単純なものほど尊重された。

 もう一つ爆発的に流行っているものがある、それはなぜか格闘技であった。まあ確かに書道や茶道だけで若い世代が満足するはずもないからそれは必然だったのかもしれない。一時期電脳世界での格闘がゲームセンターで流行った、しかし「電」という漢字は軽蔑されるようになったのですぐ下火となってしまった。
 殴ったり蹴られたりする痛みは生身で味わってこそ価値がある、という風潮が広まってストリートファイトが流行るようになった。もちろん遊びの一種として流行ったので喧嘩のような野蛮なものではなかった。いってみれば路上で即興的に行われる試合のようなもの、という表現が的確だ。怪我はいくらしても構わない、死にさえしなければ後遺症の一つも残らないからだ。

 暫くするとそれは古式ゆかしく「決闘」とか 「果たし合い」などと呼ばれるようになり、「立派な自己表現のいちメディア」と世相評論家の評するところとなった。

 また暫くすると御堂寺(みどうじ)という怪しげな団体が現れてこれを賭けの対象とした。
 御堂寺は仲介人と呼ばれる決闘の審判役を地区ごとに散らばらせて、突発的に起きる決闘を取り仕切った。彼等は一様に素顔をバイザーで隠し、体型の分からない大きめのコートを羽織っていた。皆一様に無機的な声をしていて個性というものを全く欠いていた。審判の公平さを確実にするためらしい。仲介人の具体的な仕事はレートの管理及び掛け金の収集分配、怪我人の応急処置であり、実況や解説といった気の利いたことは一切しなかった。

 御堂寺はそれまで雑然としていた決闘のルールを統一し、一度でも決闘をしたことのある人物はすべてデータバンクに登録し、レートを決定した。
 しかしこの団体の素性はだれも知らなかった、広報活動というものを一切しないのである。だから人々は御堂寺の本部はどこか、とか、代表取締りの名前やどれだけの経済的影響を持つのかなどの情報は全く知らなかった。
 すべては審判活動の公平のためらしい。首都圏だけでも推定五万人の仲介人を抱えていることからだけでも只の団体とは思えないし、これだけの秘密主義を押し通すことも容易ではないだろう。
 恐らくはどこかの社会的影響力のある金持ちの道楽だろう、というのが一般的な見方であった。もちろん中には徹底的に御堂寺を調べ上げようと躍起になる人々もいた。
 「御堂寺の謎」などと称するうさん臭い研究書が出版されてそこそこの売り上げを記録した。しかし皆無の広報活動と、社会的に害になるようなことは一切しなかったこと。さらにマスコミの興味が薄れてしまったせいで奇妙ながらも人々は御堂寺を受け入れていた。

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