あかいにんぎょう

To Heartからあかりとマルチの話です。
もちろん猟奇です。ご注意を。


 あかりはトイレの扉越しに聞こえて来る廊下からの喧騒に少し辟易しながら、経血に濡れたタンポンを引きぬいた。
 トイレットペーパーにそれを受ける。赤黒く染まったその生理用品は、安物の赤い紙にくるまれた爆竹を思い起こさせた。なぜそんなことを思い出すんだろうと上の空で考えながら、あかりは汚物入れのふたをそろそろと開けてそれを捨て、音を極力立てないように注意しながらふたを元の通りに置いた。

 

 まだ小学生だった頃、浩之が得意満面になって、当時流行っていた平安戦隊ゲンジマンのビニール人形と爆竹を手にあかりを訪ねて来たことがあった。あかりは爆竹を見たことがなかったから、浩之にその使い道を尋ねたけれど、浩之はいたずらっぽく笑うばかりで答えようとはしない。あかりは浩之の目が自分を驚かそうとしていることに気付き、そして浩之のズボンのポケットに青い100円ライターが入っているのを見て身を硬くした。
 小学生にとってライターは禁忌の品だ。大人の使う道具ではあっても子供のための玩具ではない。それにあかりにとって火とは料理のためにあるもので、遊びのためのものではなかったから余計に不安になる。爆竹の形状も気になった。
「浩之ちゃん、それってちっちゃいダイナマイトみたいに見えるんだけど…」
「え、そ、そうか?」
「それにライターなんか持ってて…怒られるよ」
 諸々の不安をまるで無視されて半ば強引に河原へ連れて来られたあかりは、浩之が爆竹に火を近づけるのを見て、ああ来るんじゃなかったと後悔した。
 導火線から突然吹き出た炎に驚き、
「ひ、浩之ちゃん危ない…」
とあかりが言うが早いか浩之は爆竹を投げ、河原に広がる乾いた破裂音にあかりは悲鳴を上げてうずくまった。
「うーん、まあこんなもんだろ」
 浩之のとぼけた声には、爆竹の威力の目測と、あかりの反応の予測がほぼ当たっていたこと両方の意味を含んでいる。
 そのあと浩之は土に穴をあけたり、川の水に触れないギリギリに投げ込んで水面を波立たせたりと、一通り爆竹の扱いを学習した。あかりは浩之が自分を傷つけるとは思っていないが、爆竹の立てる音と、破裂で浩之が怪我をしないかとが不安でほとんど半べそになっていた。

「さて、それじゃ本番と行こうか」
「うえぇ、まだやるの…」
 どのみち浩之は止めそうにない。聞かなくても分かる。
「さあ本日のメインイベント、サブタイトルは『ゲンジレッド、暁に散華!』」
「今は夕方だよ浩之ちゃん…」
「え、暁って今ぐらいのことを言うんじゃ…ええい、こういうのはノリだよノリ!」
「知らなかったんだね、浩之ちゃん」
 浩之は聞こえない振りをしてゲンジレッドをそそくさと地面に突き立てている。
あかりは浩之が何をするつもりなのかに気付いた。
「だめだよ、かわいそうだよっ」
「違う、違うんだあかり。これが男のロマンなんだ。デカダンなんだ、そしてあるいはアヴァンギャルドなんだよデカルチャー!」
 およそ小学生らしくない台詞を口走りながら、浩之はレッド右手の本来ゲンジデトネイターを持たせるための穴に爆竹を刺し、導火線に火をつけた。
「人間爆弾レッド散華せりィ!うわあァァ俺にはまだやりたいことがあるんだーッ」
叫びながらダッシュする。そしてレッドは乾いたこだまとともに、暁という名の夕日に散るのだった。

 浩之が拾い集めたゲンジレッドは右手が大破して焼け溶け、上半身と下半身は腰のつなぎ目から分かれていた。何よりあかりが嫌がったのはレッドの顔面の右半分が割れるように吹き飛んでいて、赤いビニールの断面がてらてらと光を反射することだった。黒いゴーグルは哀しそうに見えるくせに頭は中空で、そのこともあかりは嫌だった。

 

 この日からあかりは、お気に入りだった自分のハイパードールミカちゃん人形で遊ばなくなった。人間をかたどったものが嫌になった。
 嫌だったのだ、人格を与えてお喋りまでしていたミカちゃんも所詮は中空のビニール人形に過ぎないという事実が。これは人間じゃない、私とは違うんだという自覚が嫌だったのだ。だからミカちゃんの肩や肘や膝の機械的な関節は、より強調されてあかりの目に入る。絶対に動かない表情に嫌悪感すら覚える。
 あかりはミカちゃんの腕を曲がらない方向に曲げようとした。ミカちゃんはもうイタイイタイとは言ってくれない、かわりにぎしぎしという音が聞こえた。
 腕の折れる「ぽきり」という音は、あかりの頭の中から聞こえたように思えた。そして突然言いようのない複雑な何かがからだを通りぬけ、あかりはミカちゃんを放り投げた。
 膨れ上がる悪寒に震えながら、あかりは膝を抱えてうずくまる。
 心に渦巻く得体の知れない何か。複雑な構造や結び目ともいえるし、水面に広がった絵の具のまだらのようでもあるそれ。爆発的に膨張するのと同時に爆縮していく両義的に矛盾している感覚ともいえる。集合があまりにも散逸的なくせに全体としての密度や濃度が高いために均一な存在のようでもある。
 あかりは心を折りたたんでいった。無辺大の折り紙を半分ずつたたんでいった。一辺の長さが無限の折り紙を、無限に折りたたんでいく。小さく小さく折りたたんで行く。虚数を実数扱いして零に近づけていった。

 投げつけられた形で固まった奇態なミカちゃんが微笑んでいた。

 

 浩之から貰った熊のストラップのついたポーチを開けて、中から新しいタンポンを出す。タンポンの鞘を取ってから、また汚物入れのふたをそろそろと開けなければいけないことに気付く。開けたままにしておけば手間が省けるのに、なぜか毎回同じ失敗をしてしまう。長らく使っていたナプキンと勝手が違うせいかもしれない。
 タンポンを挿入する段になって、ストラップの熊が自分のほうを向いている事に気付き、少しためらいながらむこうを向かせる。ここに付けたのは失敗だったかもしれない。こんな姿まで浩之ちゃんに見せなくてもいいよね、と思う。

 白い爆竹があかりの中に入っていった。

 

 トイレから出て廊下を歩くあかりを幼い声が呼びとめた。振り向くとモップを手にせっせと廊下を掃除するマルチの姿があった。
「あかりさん、おはようございます。あ、もう放課後でした。こんにちはですね」
「マルチちゃんおはよ…じゃなかった、こんにちは。えへへ、私も間違えちゃった」
 ぺろっと舌を出すあかり。それを見てマルチがころころと笑った。
「今日は浩之ちゃん手伝ってないの?」
「浩之さんは急用が出来たみたいです。今日こそボールを浮かすんだーって言ってましたけど、何のことなんでしょう?」
「ん、ん〜浩之ちゃんたまにわかんない事いうから…なんなんだろ?」
 あかりはあごに人差し指を当てて視線が上に行く。マルチもまねをする。
 視線が降りたとき、あかりの視界にマルチの手首が見えた。

 そこにあったのは、機械的な継ぎ目だった。

 あかりの心の奥にあった小さな小さな折り紙。

 その折り紙が無限の回数だけ開かれていった。

「マルチちゃん…ちょっと屋上まで、いいかな?」
「はいっ、ご一緒します」

 

 春の風がだいぶ暖かくなってきた。屋上に出て風に吹かれても寒さに身を硬くすることも今はない。
「あかりさん、何のご用でしょう?」
 疑念や偽りという概念から無縁の、文字通り無邪気な声。
「マルチ…ちゃん」
 あかりは金網によりかかりながらマルチの小さな右手を取った。爪の形や、甘皮、関節ごとのしわ、指紋、少し冷たい体温、柔らかい感触。
 マルチがきょとんとした目であかりを見る。無垢なまぶたの稜線、まつげの造型、二重の線、しっとりと潤んだ瞳の光、光彩の色、瞳孔の深さ。
 もう一度マルチの手に視線を戻す。そして見える手首のつなぎ目。

「きもちわるい」

 あかりがぼそりと口にした。
「あの、どうしたんですか…あかりさん…」
 あかりはマルチの手と腕を持って思いきり引っ張った。つなぎ目が少しだけ広がる。
「いっ、痛いですっ」
「ここ、どんなふうになってるの?」
 次にあかりはへし折るようにマルチの右手首を曲げた。
「いたっ、痛いですっ」
 あかりの瞳孔が一瞬のうちに収縮する。

 ぎしぎしと音を立てるミカちゃんの腕

「痛いの…?」
 傍らのベンチにマルチの腕をたたきつけた。ぼきりという不吉な音。

 ぽきりという音は頭の中から聞こえた。

「う、うっ、うわああああああああっッッ」
 マルチがその無邪気な瞳孔を見開いて、ありえない方向に曲がった自分の手首を掻き抱いた。手首と胸元が朱に染まる。

 投げつけられたままの形で微笑んでいたミカちゃん

 マルチの表情が恐怖に凍りつく。あかりは無慈悲に右腕を取る。マルチははかない抵抗をしたが、叶わなかった。
「い、いや、嫌です、やめてください」
「気持ち悪いの、その声」
 あかりは自分にしか聞こえないほどの声でつぶやき、どくどくと赤い液体が流れる腕を振り上げた。

 もうイタイイタイとは言ってくれないミカちゃん

 叩き付ける、叩き付ける、たたきつける、たたきつける。
「あ、あ、あ、ああぅぅ」
 声というよりも無意味な発声を繰り返すマルチ。原型を失っていく部品。それは突然爆発した。配線部分がショートしたのだ。
「ぎゃあああああっ」
 悲鳴は二人分あがる。マルチは右手を失い、あかりは右手の人差し指が欠けた。
 血の匂いと電子配線独特の匂いの混じった煙が上がる。

 爆竹で焼け溶けたレッドの右腕。

「あ、あ、あか、り、さ…」
 涙と血の飛沫、歯の根の合わない小さな口元から唾液が病的に漏れている。壊れた機械が無意味な振動と動作音をあげながら、排気と液漏れを起こしているようにあかりには見えた。

 赤いビニールの切断面。てらてらとした光。

「気持ち悪い、気持ち悪いよぅっ」
 あかりが頭を掻き毟る。欠けた人差し指からの鮮血で、あかりの赤毛はその色相を禍禍しく変えた。

 哀しげに見える黒いゴーグル、中空の頭。

 あかりはマルチの両耳の部品をつかんだ。二人の視線が合う。おびえた涙と狂気の涙。恐怖にこぼれた唾液と、忘我にあふれる唾液。頬や髪に散っている赤。
 あかりが力をこめる。マルチの耳の付け根がみしみしと悲鳴を上げる。両耳に襲いかかる激痛に、マルチが眉根を寄せて拒絶の悲鳴をこぼした。
「なんで表情があるのようッ、なんで痛がるのようぅ」
 硬質な音と、湿り気を帯びた音。耳の付け根に裂け目が入り、最初に左耳がもぎ取れた。
「うわああああああああっっ」
左耳から赤い液体を噴出させてマルチが崩れ落ちた。病的に足を引きつらせ、次に失禁した。あかりは残った右耳から手を離さなかったので、マルチは首から下でもがいていた。
「空っぽなんでしょう、空っぽなんでしょう、ねえ、空っぽなんでしょう?」
 残った右耳を両手で捻り取る。引きずられるように出てくる三半規管、そして見える耳の奥の構造。
「なんで中身があるのよぅッ!」
 再びショートする配線
「あか、りさ、んんんん、内臓の水素が…」
 半狂乱のあかりには聞こえていない。それよりも精神的な圧迫から下腹部の痛みがぶり返してきて、先ほど見た自分の経血と目の前のマルチが噴き出させている鮮血があかりの最後の理性を揺さぶる。経血の記憶と失禁の液体が否応なくあかりの意識を下半身にむかわせた。
 ここにもあるのか?気持ち悪いものがあるのか?
 血まみれになって這いずり回っている人形。欠損した部分から聞こえる小さな破裂音。まるで爆竹を思わせる。そして不安定になったあかりの子宮壁は二度目の剥離を起こし、挿入されていた白い爆竹が赤黒く染まる。
 人形の下半身を無理やり剥く。そこにあったのは尿に濡れた幼い生殖器。産毛のような陰毛、周囲よりもかすかに色素の多い大陰唇、恐怖という刺激に硬くなっているけれど露出しない雛先、口唇を思わせる色味の薄い小陰唇は硬く閉じている。恐ろしいほど精密に形作られた造型。
「うあ、あ、気持ち悪いぃぃ」
 浩之と交わった生々しい記憶。この中身のある人形もそれを理解できるというのか。
 この人形は私と同じなのか。私は人形と同じなのか。無限に広げられた折り紙が再び二律背反を現生する。あかりは吐瀉した。下腹部が痛み、視界が急速に狭まっていく。あかりの指の欠けた手がもぎ取られた人形の耳の部品を探す。
「やだよう、やだよう、気持ち悪いのはやだよう…」
 あかりは手にした部品を人形の生殖器に振り下ろした。人形の口から悲鳴を模した音が発せられる。幾度も幾度も振り下ろすうちにいくつもの赤黒い斑点が浮かび、ついに恥骨が破壊された。
 あかりは部品を立て、そこに無理やりねじ入れた。挿入できることを確認してみたかったのだ。そしてそれが可能だったという事実は、より一層あかりの精神を焼く。
 あかりの理性は破壊された。唾液を振りまきながら、ねじ込まれた部品をもう片方の部品で打ちつけ続けた。あかりの顔が、制服が血に染まる。部品がぶつぶつと組織を破壊しながら埋まっていく。やがてその部品は全て人形の体内へと埋められた。

 血染めに白目だけがらんらんと光るあかりが最後の一太刀を打ち下ろしたとき、人形の体内で最大の漏電が起こった。

 強烈な電撃は部品を伝い筋肉組織の自律を凍結した。まるで人のものとは思えない叫び声をあげながら人形とあかりは痙攣し続けた。
「ス、ス、す、イ、い、い、イ、そ」
 人形が音を出し、次の瞬間蓄積電池の水素に引火、人形は大爆発を起こした。

 

 屋上で突如起こった水素爆発の衝撃は、そのまま直下の三階と二階の教室を貫通し、そこを部室として使用していた生徒たちを巻き込んだ。
 生徒数の少なくなる放課後であったとはいえ、少なからずの死傷者を出したこの事故は、被害者の親族に傷を残しただけでなく、HMXシリーズの製作元である来栖川グループの沽券に多大なる損害を与えた。

 

 数日後、遺骨の納められなかった墓前で浩之はついに泣き崩れ、共にいた志保も雅史もかけてやるべき言葉を見つけられなかった。なぜだなぜだと問いかける浩之の声に応えられる者は誰一人いないのだった。
 事故の原因を突き止める術はどこにもなかったから、浩之はひたすら来栖川を恨んだ。危険なロボットに情をかけていた自分を恨んだ。そしてそのロボットの傍にいたあかりをも逆恨みした。
 もうあかりと歩くことも、くだらない会話を交わすことも、抱いてやることも出来ないのだ。あかりと分かち合う男女の機微を少しづつ解りかけて来ていたのに、悦びの術を紐解き始めたばかりだったというのに。
 自分の身を掻き抱く浩之は、その手に伝わる感触があかりのものとは違うことに気づいて、より深い涙に溺れていくのだった。

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