萌え漫画を描くとしたらこんな感じだろうなと思って書いてみた小説。
プロローグと結末だけは決まっている。
そもそも萌え漫画なんて描けやしないので、結末が語られる事はないと思われる。
あーくはこんな顔→■
地方都市の外れ。
田園と里山が広がるのどかな町に少女は住んでいた。
腰まで伸ばした長い髪が春風をはらんでさらさらと揺れる。
帽子が飛ばないようにそっと添えられた細く白い指には
健康的な艶のある爪が丁寧に切り揃えられている。
表情は穏やか。
汚れなく柔らかな視線に捕らえられたあらゆる風景は、
きらきらと輝いて見えているに違いない。
身に纏う清楚なワンピースは控えめにフリルとレースで飾られていて、
華奢なシルエットを陽光が優しく包む。
白く細い首には質素なデザインのネックレスが掛かっていた。
トップには水晶を円盤状に加工したものが銀の縁にはめ込まれていて、
一見ルーペのようにも見えるのだが度は入っていない。
少女は草の波打つ丘の上に立ち、愛すべき町の眺望を楽しんでいた。
今朝、窓から差し込んでくる朝日の透明さを見て、
きっと今日は良い眺めが広がるだろうと確信していた。
だから手早くサンドウィッチとハーブティーを持って軽いピクニックに行こうと即決したのだ。
窓を開けた時の風の匂いがとても爽やかだったから、
淹れるのはカモミールしかないなと思った。
少女はサンドウィッチとハーブティーを二人分、籐編みのバスケットに入れてきた。
その理由がもうすぐ来るはずだ。
「あーく!」
幼い男の子の声が遠くから少女の名を呼んだ。
声の主は少女に向かってうきうきと走り出す。
「くーちゃんやっぱり来たね、待ってたよ」
あーくは手を振りながら迎える。
「くーちゃんはやめろって言っただろ。ちゃんと空太(くうた)って呼べよ!」
息を切らして威張りながら空太はあーくの足元に転がった。
はあはあと喘いで呼吸を何とか整える。
「くーちゃんはくーちゃんだよ。ちっちゃいもん」
「おまえだってちっちゃいだろ!」
ぱっと立ちあがり、びしっと指差して決めポーズ。
「くーちゃんよりは大きいよ」
悪戯っぽく見下ろしながらあーくが返す。
「そっ、そりゃあーくが坂の上にいるからだろ」
あーくはクスクスと笑った。
確かに斜面の勾配のせいで空太に不利があるのだが、
平地に立ってみても空太はあーくの肩までしかない。
成長期前の空太に思春期のあーくは圧倒的に、もしかしたら絶望的にお姉さんなのだ。
だから甘える優しい対象でもあり、悔しく憎らしい対象でもある。
ただ二人とも基本的には穏やかな性格なので、
空太のあどけない生意気はあーくの柔らかな空気で受けとめられる。
「くーちゃんそこの切り株に座ろうよ。サンドウィッチ持って来たからさ」
籐編みのバスケットを見せて少し先にある切り株を指差す。
そこが一番見晴らしが良いのだ。
「気が利くじゃん」
もっとも空太はあーくが必ず弁当持参で来ると踏んでやって来たのだが。
切り株に座るとあーくは膝の上にナプキンを広げておしぼりを二つ出す。
片方を空太に渡し仲良く手を拭いた。
「ツナとハムレタス、どっちがいい?」
水筒からお茶を二杯注ぎながら尋ねる。
カモミールのほのかに甘い香りが昇って食欲を刺激した。
「もちろんツナ!あ、タマネギ抜き?」
「大丈夫、入れてないよ。キュウリも。くーちゃんスペシャルにしといた」
答えながらラップにペアで包まれたツナサンドを渡す。
「さっすが。男は黙ってツナストレートに限るんだぜ」
ぱくりと一口目で半分を食べてしまう空太を微笑ましく見つめながら、
塩コショウとマヨネーズも入ってるんだけどね、とあーくは心の中で突っ込んでおく。
さて、あーくはまずお茶を一口飲んで深呼吸する。
身体を撫でる爽やかなそよ風や明るい陽光の元に広がる眼下の眺望、草の波打つ音や小鳥の囀り。
そこにハーブで味付けをするのだ。
ふくよかな香りを五感に纏わせて世界を感じる。
あーくはこれがしたくて丘に上ってきたのだった。
そして今日はカモミールで正解だった。
光と色彩、涼やかな風の感触や心地よい小鳥達の歌声、
すべてが生き生きと優しく輪郭を増していく。
穏やかな歩みで営まれる季節の移り変わりすら感じ取れそうな気がした。
「あーく、食べないの?」
空太は渡されたツナサンドふた切れを平らげて、
あーくの膝に置かれたハムレタスサンドに熱い視線を注いでいる。
「食べるよ。でもその前にハーブティーを飲んで深呼吸するの」
「何で?」
「やってみればわかるよ」
ふむ、と学者を気取った頷きをして空太はハーブティーをひと啜りして深呼吸をする。
「どう?何かこう、世界がきらきらしてこない?」
空太は目を閉じて哲学的に眉根を寄せ、
「ツナの匂いがする」
と答えた。
あーくはややがっかりして、
「ハムレタスの匂いもさせるといいよ」
と空太にもう一組のサンドウィッチを手渡した。
一通りサンドウィッチとハーブティーを仕上げ、
二人揃って「ごちそうさまー」と手を合わせる。
手早くバスケットに丸めたラップと空の水筒を片付けたあーくに空太が言った。
「ねえねえあーく、あれやってよ。前にやってたやつ」
「ん?」
「虹つくるの」
「うん、いいよ」
あーくは切り株から立ち上がると一呼吸して目をつぶる。
ゆっくりと腹式呼吸で精神を統一しながら両手を祈るように組む。
あーくが目を開けると、組んだ指の隙間から光が漏れて水晶のペンダントを煌めかせた。
光をそっと解放するように手のひらを上に向けて開く。
両手の間に虹の橋がかかっていた。
歓声を上げる空太の好奇心溢れる目に虹が反射する。
あーくは両手を掲げて青空に小さな虹を透かした。
「うん。やっぱり青空を背景にするのが一番綺麗」
二人で虹の出来をしばらく眺めたあと、あーくはぱっと両腕を開く。
虹は光の粒になってきらきらと飛散した。
「綺麗だなあ。普通の虹はこんな風に消えないもんな」
空太は見とれた。
「こういうのもできるよ」
あーくは人差し指同士をくっつけて再び精神統一する。
指先から染み出てくるように光が生まれてペンダントを煌めかせる。
指を離すとその間にリボンのような虹が伸びていた。
「すげーなあ。俺も作ってみたいな」
空太は心底感心して言った。
「ねえねえ、そのペンダント俺にも貸してよ」
「いいけど、どうして?」
あーくは指先を振って虹を飛散させた。
「そのペンダントの魔法なんだろ?俺も虹作ってみたい」
「これは、普通のペンダントだよ」
「え?」
「こうしてね――」
あーくは片手を握って開く。手乗りサイズの小さな虹が出来た。
「手乗り虹を覗くために持ってるの」
「何か見えたりする?虹占いとかできるの?」
「ううん、きれいなの。水晶の縁とかちょっと歪んでる所を通して見るときれいなんだよ」
「それだけ?」
「うん」
空太はがっかりしてうなだれた。
「じゃ虹はどうやって作るの?」
「うーん…できてーってお願いするとできるっていうか…」
「じゃあ俺には作れないの?」
「わかんない。やってみる?」
「前に見せてもらったあと試した。できろーってやったけどできなかった」
「できろー、じゃなくて、できてーって感じなんだけど」
「色々試したよ。できてーもやったし、つくられてーとか、お出来になってーなんかも。
考えつくのは全部試した。ポーズも大事なのかと思って色々やってみた」
「ポーズはいらないよ。お願いする感じが大事なんだよ?」
「お願いもしまくった。でも全然できないから、じゃあそのペンダントの魔法だなって思った」
「魔法なんてこの世にはないよ。私もちっちゃい頃魔法使いになりたかったけどね」
「虹が作れるのって十分魔法だと思うけど」
「これは魔法じゃないよ」
「じゃあ何?」
「う、うーん…魔法ってもっと派手じゃない?空を飛んだり、怪我を治したり。
私のは、何だろう?特技?
走るのが速いとか、いっぱいご飯が食べられるとか、力持ちとか。そういうのだと思うんだけど」
「特技かぁ…」
「あ、例えば三丁目の里崎さんてお料理上手じゃない。
どんな食材でも美味しくしちゃう。多分そういう魔法みたいな特技。
……ちょっと違うかな……私のは人の役に立つ訳じゃないし」
「結局俺には作れないのかぁ」
「太陽が出てる時にじょうろでお水撒いたら簡単に作れるよ」
「そういう作り方じゃなくてさ」
「そんなに特別な事だとは思わないんだけどな。
頑張っても両腕開いたサイズしか作れないし。
この丘から向こうの山までおっきい虹の橋をかけられたら魔法かもしれない。
しかもその上に乗れて渡っていけたら素敵。
でも、私のは違う。何でもないただの特技」
「だってその特技持ってる人――虹作れる人、他に知ってる?」
「どこかにいると思う。……知らないけど……」
「俺も知らないし、あーくも知らないんなら十分特別だよ」
空太は溜め息をついた。
もっとわくわくするファンタジックな世界がめくるめく無辺大に拡がるのだ、
と期待していただけに落胆が大きい。
なんだ、特技って。空太は心の中で舌打つ。
「何かがっかりさせちゃった?」
本気で心配するあーくに、
「ちょっとね」
と、空太は待ちかねたおやつを地面に落として三秒経過したような表情で答えた。
「でもさくーちゃん、虹がなくたって世界はこんなにきれいだよ。
風は爽やかだし、太陽もあったかい。
ハーブティーはおいしいし、町のみんなも楽しそう。私はそれで幸せだと思うよ」
「俺はもう少し刺激がないと面白くないんだ。
こう、世界がぶっ飛んじゃうくらいのとんでもない、わくわくする何かが欲しいんだよなあ。
あとくーちゃんはやめろ」
「うーん、やっぱりくーちゃんはくーちゃんだよ」
だめだこりゃ、とうなだれる空太を風が優しく撫でた。
町は今日ものどかな空気に包まれていた。